1562年5月

教興寺の戦い

久米田の戦いで実休を失った三好方が、河内の教興寺付近で畠山高政方を破った合戦です。長慶政権は危機をしのぎ、畿内での優位を取り戻しました。

久米田の敗北から態勢を立て直す

1562年3月の久米田で三好実休を失った後、畠山高政方は長慶へ圧力を強めました。三好方は畿内・四国の勢力を集め、河内で反撃に出ます。教興寺の戦いは、長慶が飯盛山城を守り、政権を立て直せるかを決める局面でした。

勝利で何が変わったか

河内の主導権

畠山高政方は退き、長慶は河内での優位を回復しました。飯盛山城を基盤に畿内を動かす体制が保たれます。

六角義賢との対立

近江の六角義賢も高政方と結び長慶へ対抗していました。教興寺の勝利は、三好方が畿内の複数方向からの圧力をはね返したことを意味します。

残った損失

勝利しても、久米田で失った実休は戻りません。政権は外敵を退けながら、一族・後継者を失う問題を抱えることになります。

教興寺は「絶頂」と「陰り」が重なる戦い

教興寺の戦いは、長慶政権が畿内で最も強い軍事力を示した場面です。同時に、一存・実休ら有力な一族を失った後の勝利でもありました。大勝利だけで終わらせず、その後の三好政権の分裂までつなげて読むことが大切です。

参考にした資料