1535年 / 家康の祖父が尾張で命を落とす

守山崩れ

三河の松平清康が尾張へ進軍した際、守山で家臣に殺害された事件です。
清康の死で松平家の勢いは大きく揺らぎ、三河では今川氏の影響が強まります。信長・家康の同盟より前に、尾張と三河がすでに深く関わっていたことを知る入口です。

松平清康守山城三河1535年

清康の進軍と、突然の死

松平清康は三河で力を伸ばし、尾張へも軍を進めます。しかし守山で家臣に殺害され、松平家は大きな転機を迎えました。

松平清康徳川家康の祖父。三河で勢力を伸ばし、尾張へ進出します。
守山尾張東部の拠点。清康の死後、のちには織田信光の基盤にもなります。
その後松平家は不安定になり、今川氏の影響が三河で強まっていきます。

なぜ尾張ルートで読むのか

守山崩れは信長の尾張統一より前の事件です。 ただし、尾張東部が三河の松平氏・今川氏と接する緊張地帯だったことを示します。村木砦、鳴海・大高、桶狭間、そして清洲同盟へ続く東海の長い背景になります。

ここだけ覚える

  • 守山崩れは1535年、松平清康が守山で殺害された事件。
  • 清康の死で松平家は揺らぎ、三河で今川氏の影響が強まった。
  • 尾張と三河の緊張が、家康以前から続いていたことを示す。

守山崩れから、どこへ進む?

参考にした資料

守山崩れの原因や経緯の細部には資料による表現差があります。本ページでは、清康の死と三河・尾張の関係への影響を中心に整理しました。