これは「美濃を譲る約束」ではない
道三は美濃で実権を握る勢力、信秀は尾張で力を伸ばす勢力でした。両者の和睦は、国境を挟んで争っていた二つの有力者が、ひとまず関係を結び直す動きとして捉えると分かりやすくなります。
その後、信秀の子・信長と、道三の娘とされる女性の婚姻が語られます。ここで大切なのは、婚姻も和睦も、相手の国を自由にできる権利ではなかったことです。美濃の主導権は道三から義龍、龍興へ移り、信長は長い対立の末に美濃を攻略します。
国境の緊張を下げる
尾張と美濃の境目で続く対立を和らげ、両者が別の課題へ力を向ける余地をつくりました。
婚姻の前提になる
信長と道三の娘の婚姻は、両家の関係が結ばれたことを示す重要な接点です。
永続する同盟ではない
道三の死後に美濃の当主と家中の状況が変わると、婚姻関係だけでは政治的な結びつきを保てませんでした。
和睦から美濃攻略までの流れ
- 01尾張と美濃が対立する
信秀は尾張で、道三は美濃で勢力を伸ばし、両者は国境地帯を挟んで緊張関係にありました。
- 021548年頃、道三と信秀が和睦する
年次や交渉の細部には検討が必要ですが、両者が和睦し、関係を結び直したことが後の婚姻の背景になります。
- 03信長と道三の娘の婚姻
道三の娘とされる女性が信長に嫁いだと伝わります。後世には濃姫・帰蝶の名で広く知られますが、名前や生涯の細部には不明な点があります。
- 041551年、信秀が死去する
信長は尾張の主導権をめぐる厳しい局面に入り、道三との関係だけに頼れない状況になります。
- 051556年、長良川の戦い
道三が義龍に敗れて討たれると、美濃の主導権は義龍へ移ります。織田・斎藤の関係も新しい段階に入ります。
- 061567年、信長が美濃を攻略する
信長は龍興を退けて稲葉山城を手に入れ、岐阜を本拠にします。和睦から約二十年後のことです。
この和睦を知ると、何が見える?
| 信秀の時代 | 信長以前から、尾張は美濃・三河という隣国と向き合っていました。 |
|---|---|
| 婚姻の役割 | 婚姻は、二つの家が関係を結ぶための手段です。ただし、領国や家臣団の動きまで固定するものではありません。 |
| 道三の死 | 義龍が美濃を継いだことで、信長は義父の家をそのまま味方にできる状況を失います。 |
| 美濃攻略 | 信長が美濃を手に入れるのは、和睦や婚姻の結果ではなく、義龍・龍興の時代を経た長い対立の末です。 |
関係者を四人でつかむ
和睦の前後をたどる
参考にした資料
和睦・婚姻の年次や細部には、史料や研究による検討が必要な点があります。尾張と美濃の関係が、和睦・婚姻・道三の死・美濃攻略へと変化した大きな流れを中心に扱いました。