生年不詳–没年不詳 / 尾張・赤母衣衆・信忠軍

毛利秀頼

毛利秀頼は、毛利長秀とも呼ばれる織田家臣で、馬廻・赤母衣衆として信長に近く仕え、のちに信忠の軍団でも活動したとされます。近習から方面軍の実戦へ移る家臣の成長を読む候補です。

この人物を先に理解する

何を担った人物か

赤母衣衆は、主君の近くで働く武将を示す集団です。秀頼を通して、信長が若い近習を身辺警護だけでなく、戦場・指揮・領国支配へ成長させたことを考えられます。信忠の軍団に入る動きは、家督相続後の二層の政権にもつながります。

時系列

1560年
桶狭間のころ

織田家臣として活動が見られます。

1570年代
赤母衣衆

信長に近い武将層として各地の戦いへ加わります。

1582年春
甲州征伐

信忠軍の動員と結び付き、武田旧領の戦後処理へ向かいます。

読み違えないために

名の表記は秀頼・長秀など資料に差があります。系譜や逸話を断定せず、馬廻・赤母衣衆、信忠軍への参加という役割の流れを中心にします。

毛利秀頼から次に読む

参考にした資料