輝元を最初にどう覚える?
ざっくり年表
人物と場所を置く
| 毛利元就 | 輝元の祖父。中国地方に毛利家の大きな基盤をつくった人物です。 |
|---|---|
| 豊臣秀吉 | 輝元を五大老の一人とした主君。毛利家を豊臣政権へ組み込みます。 |
| 宇喜多秀家 | 同じく五大老に数えられ、関ヶ原では西軍側に立った中国地方の有力大名です。 |
| 石田三成 | 1600年に西軍側の実務をまとめる人物。輝元は西軍の総帥として位置づけられます。 |
| 福島正則 | 関ヶ原後、広島城と芸備の領地を得る人物です。 |
| 広島城 | 輝元が築城を始めた城。広島という都市の出発点になります。 |
なぜ広島に城をつくった?
山城から平地へ
毛利家の古い本拠は吉田郡山城でした。中国地方の広い領地を治めるには、山の城だけでなく、人・物・船が動く場所に中心を置く必要がありました。
太田川デルタ
広島城は太田川のデルタに築かれます。川と海の交通を使いやすく、海陸の要地として政治・経済・軍事をまとめやすい場所でした。
城下町をつくる
城を築くことは、天守をつくるだけではありません。武家屋敷、町、道、港を整え、支配の中心をつくることです。
現在の広島へ
広島市は、輝元による城と城下町づくりを、現在の都市の基礎の一つとして位置づけています。人物ページから都市の始まりへ進めます。
西軍の総帥を、単純にしない
関ヶ原では、輝元は西軍の総帥として位置づけられます。ただし戦場にいた武将の動き、伏見・大坂・各地の城の状況、家臣団の判断が重なっており、「輝元が全てを指揮した」と一言で片付けると実態が見えにくくなります。
大事なのは、豊臣五大老の一人で中国地方の大領主だった毛利家が西軍側にいたことです。関ヶ原後に防長二国へ移されたことで、広島の城主と都市の中心まで変わりました。
広島城の城主が変わる
輝元: 広島を始める
輝元が広島城を築き、城下町の基礎をつくります。
正則: 城を広げる
関ヶ原後、福島正則が入城し、広島城の大幅な増改築と城下の整備を進めます。
改易: また城主が変わる
1619年、正則は無断修築を理由に改易されます。広島城は江戸時代のルールに入っていきます。
城主交代で時代を見る
輝元から正則への交代は、関ヶ原の結果を城と町の側から見る最も分かりやすい例です。
ここだけ覚える
- 毛利輝元は毛利元就の孫で、中国地方の毛利家を率いた当主。
- 1589年に広島城を築き始め、広島の城下町の基礎をつくった。
- 豊臣五大老の一人で、関ヶ原では西軍側の総帥として位置づけられた。
- 関ヶ原後、毛利家は防長二国へ移り、広島城は福島正則へ移った。
- 広島城を見ると、関ヶ原が都市の中心を入れ替えたことが分かる。
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5問クイズ
Q1. 毛利輝元の祖父は?
A. 毛利元就です。
Q2. 輝元が築き始めた城は?
A. 広島城です。
Q3. 輝元が数えられた豊臣政権の有力者は?
A. 五大老です。
Q4. 関ヶ原後、広島城へ入った人物は?
A. 福島正則です。
Q5. 関ヶ原後、毛利家が移った二国は?
A. 周防・長門、合わせて防長二国です。
参考にした資料
- 広島市: 広島の歴史
- 広島市: 広島城の歴史
- 広島市: 広島城跡保存活用計画
- Wikimedia Commons: 毛利輝元
