文書実務と軍事をまたいだ家臣
畿内所務に関わる連判状は、上洛後の織田政権が京都周辺の土地・訴訟・命令を共同で扱ったことを示します。重政は明智光秀・秀吉・丹羽長秀らと同時に文書へ現れるとされ、政権の現場にいたことが分かります。
馬廻としての軍事参加と、本能寺後に信雄へ仕える動きを合わせると、重政は中央の実務と戦場、さらに後継争いをまたいだ人物として読めます。
時系列
1568年以後
畿内所務へ
上洛後の文書実務に関わります。
1569年
馬廻として従軍
大河内城攻めなど、軍事面でも活動します。
1582年以後
信雄に仕える
本能寺後に織田一門の信雄側へつながります。
1584年
犬山城を守る
小牧・長久手の局面で信雄方の軍事に関わります。
読み違えないために
畿内所務への関与の細部や各文書の立場には不明な点があります。連判状を個人の単独決定とせず、政権の共同実務として読みます。
中川重政から次に読む
参考にした資料
中川重政の経歴は文書と後世の叙述で確認し、役割の輪郭を中心に整理しています。