人物ページ / 江戸城と河越城を築き、戦国前夜の関東を動かした悲劇の名将

太田道灌

太田道灌は、15世紀後半の関東で活躍した武将です。扇谷上杉氏の家臣として戦い、1456年から1457年にかけて江戸城を築いた人物として知られます。同じ1457年には、父・太田道真とともに河越城の築城にも関わりました。道灌は家康の家臣ではなく、信長よりも前の時代の人です。それでも、道灌が築いた江戸城を北条氏が使い、最後に家康が江戸を本拠に選んだため、戦国から江戸時代へ続く長い物語の最初に立っています。1486年、道灌は主君の上杉定正によって相模国糟屋で殺されました。

1432 - 1486扇谷上杉氏の家臣江戸城・河越城関東の戦乱と暗殺
太田道灌が築いた江戸城の跡
江戸城跡 / Wikimedia Commons / CC0

太田道灌を理解する要点

太田道灌は、家康より約130年前に江戸城を築いた関東の武将です。江戸城・河越城を築き、関東の戦いで活躍しますが、1486年に主君・上杉定正に殺されます。道灌から北条、家康へ進むと、江戸の始まりが見えてきます。

  • 立場:家康より前の江戸城
  • 注目点:城を置いて関東を動かす
  • 次につながる:北条を経て家康の江戸へ
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道灌を最初にどう覚える?

上杉家の家臣

道灌は扇谷上杉氏に仕えた武将です。まだ織田・豊臣・徳川より前、関東では上杉氏と古河公方を軸に勢力が争っていました。

江戸城を築く

1456年から1457年に江戸城を築城。のちの皇居の場所に、関東の拠点となる城を置きます。

河越城にも関わる

1457年、父・道真と河越城の築城に関わります。江戸と河越を並べて見ると、道灌の関東戦略が見えます。

主君に殺される

1486年、上杉定正によって相模国糟屋で殺されます。道灌の死は、関東の勢力関係にも大きく影響しました。

道灌の時代は、まだ「戦国三英傑」の前

道灌が生きた15世紀後半は、信長・秀吉・家康の時代よりずっと前です。関東では、将軍家につながる古河公方と、関東管領上杉氏の対立が続き、さらに上杉氏の内部にも山内上杉家・扇谷上杉家という複数の勢力がありました。

道灌は扇谷上杉氏の家臣として、この複雑な関東の争いに向き合います。ここで大事なのは、道灌を「江戸を作った人」だけにしないことです。彼は、主君のために城を築き、戦い、地域をつなぐ武将でした。その城が後の北条・徳川へ受け継がれたから、今の江戸・東京の物語にも入ってきます。

古河公方

室町将軍家につながる関東の有力な存在。上杉氏と対立し、関東の戦乱を長引かせます。

扇谷上杉氏

道灌が仕えた上杉氏の一系統。河越を大きな拠点にして関東で動きます。

太田道真・道灌

父子で城を築き、扇谷上杉氏の軍事と地域支配を支えます。

後の北条氏

道灌の死の後に関東で大きく伸び、江戸城・河越城を自らの勢力圏に入れます。

まずは一本の流れで置く

  1. 1432年、太田道灌が生まれる
  2. 1455年、家督を継ぎ、扇谷上杉氏の家臣として活動する
  3. 1456年から1457年、江戸城を築く
  4. 1457年、父・道真と河越城の築城に関わる
  5. 関東平野で多くの合戦に参加し、扇谷上杉氏を支える
  6. 1477年、長尾景春の乱に関わり、関東の勢力争いが大きく動く
  7. 1486年、上杉定正により相模国糟屋で殺される
  8. その後、江戸城・河越城は北条氏、さらに家康の時代へつながる

ざっくり年表

1432年
太田道灌が生まれます。名は資長・持資とされ、のちに剃髪して道灌と称します。
1455年
家督を継ぎ、扇谷上杉氏の家臣として関東で活動を始めます。
1456 - 1457年
江戸城を築いたとされます。
1457年
父・道真とともに、上杉持朝の命を受けて河越城の築城に関わります。
1470年代
長尾景春の乱など、関東の大きな争いの中で活躍します。
1486年
上杉定正により相模国糟屋で殺されます。
1537年以後
江戸城・河越城は北条氏の勢力圏へ入ります。さらに1590年、家康が江戸城を本拠にします。

江戸城と河越城を、セットで見る

道灌が1457年に関わった江戸城と河越城は、今の東京と埼玉をつなぐように見える二つの城です。どちらも、扇谷上杉氏が関東で動くための拠点でした。江戸の水辺と河越の武蔵中央部を押さえることで、道灌は城を「戦う場所」だけでなく、地域をつなぎ主君の力を置く場所として使いました。

後に北条氏は河越城を勢力拡大の拠点にし、1546年の河越合戦へつながります。江戸城は1590年に家康が選び、幕府の中心へ変わります。道灌の二つの城を追うと、彼の死後に関東の主役がどう入れ替わったかが見えます。

江戸城

水辺と台地を使った城。のちに家康が本拠にし、江戸幕府の中枢へ変わります。

河越城

武蔵中央部で扇谷上杉氏を支える城。のちに北条氏の重要拠点になります。

共通する点

道灌と父・道真が、扇谷上杉氏のために築城へ関わった点です。

後の違い

江戸は徳川の首都へ、河越は北条氏康が勝利する河越合戦の舞台へつながります。

なぜ道灌は関東で強かった?

国立公文書館は、道灌が江戸に城を築いた後、関東平野で30以上の合戦に参加し、多くの戦功を挙げたと紹介しています。もちろん「強い武将だった」で終わらせず、城を築く力、主君の軍を動かす力、地域の交通を押さえる力を合わせて見ると分かりやすいです。

関東では、敵を一度倒しても終わりではありません。別の勢力が城を取り、主君同士の関係が変わり、地域の武士が動く。だから道灌は、戦場で勝つだけでなく、江戸・河越のような拠点を確保する必要がありました。

城を築く

江戸・河越に主君の拠点を置き、守りと地域支配の足場を作ります。

戦いに出る

関東平野の多くの合戦に参加し、扇谷上杉氏の軍事を支えます。

主君を支える

道灌は独立大名ではなく、上杉氏の家臣として働きます。ここが後の戦国大名とは違う点です。

地域を押さえる

城を通じて道・水辺・人の動きを押さえることが、関東で戦い続ける基盤になります。

なぜ最後は殺された?

1486年、道灌は主君である上杉定正によって相模国糟屋で殺されます。川越市の年表もこの出来事を記し、川越市の文化財資料は、道灌暗殺が翌年から始まる山内上杉氏と扇谷上杉氏の大規模な対立に大きな影響を与えたと説明します。

「道灌の実力を主君が恐れた」という語りはよく知られます。ただ、暗殺に至る事情の細部は、後世の物語として広まった部分も含めて慎重に見る必要があります。確かなことは、関東で城と戦を担った有力な家臣が、主君の側で突然失われたことです。道灌の死は、関東がさらに不安定になる大きな節目でした。

道灌の死
扇谷上杉氏の重要な軍事・築城の担い手を失います。
上杉氏の対立
山内上杉氏と扇谷上杉氏の対立が大きくなり、地域の武士も巻き込まれていきます。
北条の伸長
その後、北条早雲・氏綱・氏康の時代に、小田原北条氏が関東で勢力を伸ばします。
家康の江戸
1590年、道灌が築いた江戸城を家康が本拠に選び、関東の主役がさらに交代します。

戦上手だけではない、道灌のもう一つの顔

道灌には、戦う武将だけでなく、学問や詩歌に親しんだ面も伝わります。国立公文書館は、幼少期に鎌倉の禅寺で学び、1486年には隅田川の船上や父の住む越生で詩歌会を催したことを紹介しています。

有名な「山吹の里」の逸話も、この風流な人物像と結びついて語られてきました。逸話の細部を史実として丸ごと受け取るより、「江戸城を築いた武将」が後世に、戦と文化の両方を知る人物として記憶されたことに注目すると面白いです。

道灌から、北条・家康へどう進む?

1457年
道灌が江戸城・河越城の築城に関わる。
1486年
道灌が殺され、上杉氏をめぐる関東の対立が深まる。
1537年
江戸城・河越城が北条氏の勢力圏へ入り、北条氏の関東支配が進む。
1546年
河越合戦。北条氏康が勝利し、北条氏の関東進出が大きく進む。
1590年
家康の関東入封。家康が江戸城を本拠にし、江戸幕府へ進む。

信長・秀吉・家康のページだけでは、江戸は家康が突然選んだ町に見えるかもしれません。道灌を入れると、江戸は15世紀から関東の要所として使われ、北条と徳川が順番に意味を変えていった場所だと分かります。

ここだけ覚える

  • 太田道灌は1432年から1486年に生きた、扇谷上杉氏の家臣。
  • 1456年から1457年に江戸城を築き、同じ年に父・道真と河越城の築城に関わった。
  • 関東平野の多くの合戦に参加し、主君のために城と軍事を支えた。
  • 1486年、上杉定正によって相模国糟屋で殺され、関東の勢力関係にも大きな影響を与えた。
  • 道灌の江戸城は北条氏を経て家康へ受け継がれ、江戸幕府の中心になった。

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10問クイズ

Q1. 太田道灌が仕えた上杉氏の系統は?

A. 扇谷上杉氏です。

Q2. 太田道灌が江戸城を築いたとされる時期は?

A. 1456年から1457年です。

Q3. 1457年に道灌が父・道真と築城に関わった城は?

A. 河越城です。

Q4. 道灌が江戸城を築いた約130年後に本拠にした人物は?

A. 徳川家康です。

Q5. 道灌が殺された年は?

A. 1486年です。

Q6. 道灌を殺した主君は?

A. 上杉定正です。

Q7. 道灌が殺された場所は?

A. 相模国糟屋です。

Q8. 道灌が関わった二つの城は?

A. 江戸城と河越城です。

Q9. 河越城がのちに北条氏の大きな勝利の舞台になる戦いは?

A. 河越合戦です。

Q10. 道灌の江戸城は、最終的に何の中心へ変わった?

A. 江戸幕府の政治中枢です。

参考にした資料