城・場所ページ / 美濃攻略のため、清洲から移した信長の本拠

小牧山城

小牧山城は、1563年に信長が清洲から移した城です。
桶狭間と清洲同盟の後、信長は美濃へ進むために本拠を北へ移し、城だけでなく城下町も整えました。小牧山を見ると、尾張統一が岐阜への飛躍へ変わる瞬間が分かります。

1563年築城清洲から移転美濃攻略1567年 岐阜へ

なぜ信長は清洲から小牧山へ移ったのか

美濃に近い

小牧山は清洲より北にあり、美濃の斎藤氏と向き合うための位置でした。信長は岐阜へ移る前に、美濃攻略を意識した本拠を選びます。

尾張をほぼまとめた後

桶狭間と清洲同盟を経て、東からの脅威を減らし、尾張内部の統一も進みました。本拠を移す余地が生まれた時期です。

城下町もつくる

信長は山上の城だけでなく南麓に城下町を整えました。軍事拠点と人・物流を集める場所を一体でつくる試みでした。

小牧山城の四年間

1563年
清洲から移り、築城を始める

信長は小牧山を新しい居城とし、南麓には計画的な城下町がつくられます。

1563〜1567年
美濃へ繰り返し働きかける

小牧山を足場に、信長は美濃の斎藤氏と対峙します。犬山など尾張北部の問題も、美濃へ進む条件と重なります。

1567年
稲葉山城を落とし、岐阜へ移る

信長は美濃を手に入れると、稲葉山城を岐阜と改めて本拠を移します。小牧山城の役割は短期間で終わります。

1584年
小牧・長久手で再び使われる

信長の時代を終えた後、家康は小牧山城跡を改修して陣城とします。城は別の戦いでも重要な場所になります。

小牧山は「岐阜の前の城」ではない

小牧山城は4年ほどで本拠の役割を終えました。しかし短命だから脇役なのではありません。清洲の政治拠点から、美濃へ向かう軍事・政治拠点へと、信長の立場が変わったことを示す城です。

発掘調査では、石垣や城下町の痕跡が確認されています。小牧山は、後の安土城だけを見てしまうと見落としやすい、信長の城づくり・町づくりの初期段階でもあります。

清洲城尾張南部の政治の中心を手に入れ、桶狭間へ出陣した城。
小牧山城尾張を越え、美濃攻略へ向かうために選んだ本拠。
岐阜城美濃を手に入れ、京都・畿内へ進む出発点になる城。

ここだけ覚える

  • 小牧山城は1563年、信長が清洲から移した本拠である。
  • 美濃攻略を意識した位置にあり、城下町も一体で整えられた。
  • 1567年に岐阜へ移るまでの四年間が、尾張から美濃へ向かう橋になる。

小牧山城から、どこへ進む?

参考にした資料

小牧山城の築城年や構造は、史料・発掘調査の成果をもとに整理されています。このページでは、本拠移転と美濃攻略の関係を中心に扱いました。