鳴海城は、今川の軍が尾張へ入る足場だった
鳴海城と大高城は、今川方が尾張東部に持つ重要な城でした。信長はこの二つが自由に連携すると、尾張の南東部を守りにくくなります。そこで周囲に砦を築き、城どうしの交通や兵糧の動きを抑えようとしました。
鳴海城
尾張東部の前線。山口氏の離反後、今川方の拠点になります。
大高城
鳴海と並ぶ今川方の城。1560年、今川軍は大高への兵糧補給も行いました。
信長の砦
丹下・善照寺・中嶋、丸根・鷲津などを置き、今川方の城を周囲から牽制しました。
鳴海から、桶狭間へ
1550年代
山口氏が今川方へ移る
鳴海城は織田方の城から、今川方の前線へと性格を変えます。
1559年ごろ
信長が周囲に砦を築く
鳴海・大高の連絡と今川方の西進を抑えるため、城の周辺に複数の砦が置かれます。
1560年5月
今川軍が尾張へ進む
今川軍は丸根・鷲津を攻め、大高城への兵糧補給を行います。信長は個々の砦より義元の本隊を狙いました。
桶狭間の後
東海の勢力図が変わる
義元の戦死で今川方の前線は大きく揺らぎ、信長と松平元康は清洲同盟へ向かいます。
ここだけ覚える
- 鳴海城は、桶狭間前夜に今川方が尾張で持った重要な前線拠点。
- 信長は周囲の砦を使い、鳴海城と大高城の連絡を妨げようとした。
- 鳴海から見ると、桶狭間は城・砦・兵糧をめぐる長い緊張の中で起きたと分かる。
鳴海城から、どこへ進む?
参考にした資料
鳴海城の城主・築城時期や各砦との細部の関係には資料による表現差があります。本ページでは、今川方の前線と信長の砦による対抗という流れを中心に整理しました。