用語ページ / 戦国大名の領国法

今川仮名目録

今川氏が駿河などの領国を治めるために定めた法です。氏親が1526年に定めた「仮名目録」と、義元が1553年に加えた「仮名目録追加」を合わせて呼びます。

1526 仮名目録 1553 仮名目録追加 駿河今川氏
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氏親から義元へ

氏親の33か条と、義元の追加21か条

今川仮名目録

1526年に今川氏親が定めた33か条です。今川氏の家臣団や領国を統率するための基準を示しました。

今川仮名目録追加

1553年に今川義元が定めた21か条です。氏親の方針を引き継ぎながら、義元の時代の領国運営に必要な規定を加えています。

「今川仮名目録」は、通常この二つを一組として指します。義元が新しく最初から法を作ったというより、父の代からの仕組みを継承・整備したと見ると分かりやすいです。

領国をまとめる仕組み

どんなことを定めたのか

家臣団の統制

家臣同士の私的な争いを抑え、当主の裁きに従わせる考え方が示されます。強い家臣が勝手に争いを広げないための規則です。

裁判と土地

土地をめぐる争いや裁判を、一定の手順で扱う基準を設けました。領国内の秩序を保つための仕組みです。

当主と家臣の関係

恩賞を与える側と奉公する側の関係を整え、当主を中心に家臣団をまとめようとしました。

現代の法律とは少し違う

今川仮名目録は、現代の国家が国民全体に一律に適用する法律とは異なります。戦国大名が家臣・土地・裁判を管理し、領国をまとめるための基本ルールです。

義元の領国経営

義元にとって、なぜ重要か

義元は駿河・遠江を基盤に三河へ影響を広げました。広い領国を動かすには、合戦の強さだけでなく、家臣団の争いを抑え、土地や裁判を扱う仕組みが必要です。仮名目録追加は、義元が領国経営を継続・強化したことを示す資料になります。

桶狭間で敗れた武将という印象だけでは、義元の一面しか見えません。今川仮名目録を読むと、義元が領国を治める大名でもあったことが見えてきます。

参考にした資料