五砦は、二つの城に対する包囲網だった
鳴海側の三砦
丹下・善照寺・中嶋は、鳴海城の周辺から今川方の動きを牽制する役割を持ちます。
大高側の二砦
丸根・鷲津は大高城に近く、補給や連絡を妨げる位置に置かれました。
信長の狙い
今川方の城をすぐ落とすのでなく、城どうしを孤立させ、尾張で動きにくくすることでした。
桶狭間当日、五砦はどうなったか
1560年、今川軍は大高城への補給を進めながら、丸根・鷲津を攻めます。前線では今川方が優位に立つ一方、信長は義元の本隊を狙う判断をしました。
| 前線の戦い | 丸根・鷲津では今川軍と信長方が交戦し、信長方の砦が落ちます。 |
|---|---|
| 本隊への行動 | 信長は砦の救援より、桶狭間にいる義元本隊を狙いました。 |
| 桶狭間の後 | 義元の戦死で今川方の前線は揺らぎ、鳴海・大高をめぐる状況も変わります。 |
五砦は、信長の戦い方を理解するための前提です。 桶狭間は偶然の一撃だけではなく、前線に城と砦が並び、補給をめぐる緊張が続く中で起きました。
ここだけ覚える
- 五砦は、鳴海城と大高城の今川方を牽制するための信長方の前線網。
- 鳴海側に三砦、大高側に丸根・鷲津の二砦が置かれた。
- 桶狭間当日は前線で丸根・鷲津が攻められ、信長は義元本隊へ向かった。
信長の五砦から、どこへ進む?
参考にした資料
五砦の位置・築城年・各砦の細部には資料ごとの表現差があります。本ページでは、鳴海・大高を牽制する前線網として整理しました。