天正壬午の乱の要点
1582年春、織田・徳川連合軍によって武田氏が滅びます。しかし同じ年の本能寺の変で信長が倒れると、武田氏の旧領を誰が支配するかが急に決まらなくなります。
この空白に、家康、北条氏、上杉氏などが動きます。争いは夏から秋にかけて続き、国立公文書館の解説では、10月に徳川・北条の和議が成立し、家康は甲斐・南信濃を手にしたとされています。天正壬午の乱は、家康の領地が一気に大きくなる転機です。
何が起きたのかを、順に置く
- 1582年春、武田勝頼が滅び、甲斐・信濃などの旧武田領は織田方の支配下に入る。
- 6月、本能寺の変で信長が倒れ、織田方の支配の枠組みが崩れる。
- 家康は伊賀越えを経て岡崎へ戻り、旧武田領へ動く。
- 北条氏も甲斐へ進み、家康と北条の軍事的な緊張が高まる。
- 上杉氏なども含め、旧武田領の周辺で各勢力の思惑が交差する。
- 10月、徳川・北条の間で和議が成立し、家康は甲斐・南信濃を得る。
誰が、どこを見ていたのか
| 徳川家康 | 三河・遠江・駿河を基盤に、甲斐・南信濃へ勢力を広げます。危機から帰った直後の大きな拡張です。 |
|---|---|
| 武田勝頼 | この争いの前に滅びた武田氏の当主。武田氏の旧領が、各勢力にとって大きな争奪対象になります。 |
| 北条氏政 | 関東を基盤とする北条氏の当主。旧武田領をめぐって家康と対立し、のちに和議へ向かいます。 |
| 上杉氏 | 謙信の死後は景勝の時代です。信濃北部に関わる勢力として、旧武田領の争いに影響を与えます。 |
| 甲斐・信濃 | 武田氏の本拠地と重要な領域。山や峠を越えた軍事・支配のつながりが、東国の力関係を左右します。 |
「武田を倒した後」のほうが、家康には大事になる
武田氏滅亡は、織田・徳川連合軍の勝利として語られます。しかし、勝った側の支配が固まる前に信長が倒れたため、甲斐・信濃はすぐに安定したわけではありませんでした。
家康の目線で見ると、天正壬午の乱は「信長の同盟相手だった時代」から一歩進み、自分で東国の勢力と向き合う段階です。ここで甲斐・南信濃を得たことが、家康を三河の大名から、より広い地域を動かす大名へ変えていきます。
家康と北条の関係は、敵か味方かだけではない
この一件が、関東入封へどうつながる?
ここだけ覚える
5問クイズ
Q1. 天正壬午の乱が起きた年は?
A. 1582年です。
Q2. 争いの対象になった、滅亡した大名家の旧領は?
A. 武田氏の旧領です。
Q3. 家康と旧武田領をめぐって対立した関東の大勢力は?
A. 北条氏です。
Q4. 家康が和議の後に得た地域は?
A. 甲斐・南信濃です。
Q5. この後、家康が新しい本拠を置く大きな転換は?
A. 1590年の関東入封です。