京都の人物 / 室町幕府14代将軍 / 義昭上洛前の空白

足利義栄

室町幕府14代将軍。13代義輝が殺害された後、三好勢力の後押しで将軍に立てられました。京都を安定して掌握できないまま短期間で世を去り、義昭と信長が京都へ進出する直前の「将軍不在に近い時期」を理解する鍵になる人物です。

14代将軍三好勢力京都1568年

義輝死後、三好勢力が立てた将軍

義栄は、義輝・義昭の父である義晴の弟・義維の子で、将軍家の一族にあたります。1565年の永禄の変後、将軍継承を主導しようとした三好三人衆らに支持され、14代将軍となりました。

足利義栄

将軍家の血筋を持ち、義輝の死後に将軍として立てられた人物です。

三好三人衆

畿内で軍事力を持ち、義栄を支えることで京都政治の主導権を保とうとしました。

足利義昭

義輝の弟。将軍家再建を目指し、美濃の信長を頼って別の道を進みました。

義栄と義昭、二人の将軍候補

義栄と義昭は、義輝の死後に生まれた別々の将軍候補でした。義栄は畿内の三好勢力に支えられ、義昭は美濃の信長を新たな後ろ盾とします。二人の対立は、将軍職そのものよりも、誰が京都の軍事と政治を動かせるかという争いでした。

義栄の基盤三好三人衆ら、畿内で力を持つ勢力の軍事的支援。
義昭の基盤将軍家の正統性に加え、織田信長の軍事力と上洛構想。
結末1568年、義栄が死去し、信長と義昭が京都へ入ります。

義栄は「一瞬だけの将軍」ではありますが、欠かせない人物です。 義栄がいたからこそ、信長が義昭を奉じる上洛は、単なる将軍擁立ではなく京都の主導権をめぐる転換点になります。

短い将軍在任が意味すること

1565年
義輝が死去

将軍継承の空白が生まれます。

1568年初め
14代将軍となる

三好勢力の支援を受け、義栄が将軍に就きます。

1568年秋
義昭と信長が京都へ

義栄の死去と前後して、信長が義昭を奉じて上洛します。

足利義栄から、どこへ進む?

参考にした資料

義栄の在任時期や京都での活動には史料上の限界があります。このページでは、義昭・信長の上洛前に将軍位をめぐる対立があったことを中心に整理しました。