元春の役割
ざっくり年表
両川とは何か
両川は、元春と隆景を二本の川になぞらえた呼び名です。二人がただ仲の良い兄弟だったというより、別の有力家を継ぎ、毛利家の領地を分担したことが大事です。
元春は山陰・軍事、隆景は瀬戸内・外交や城下の拠点というように、得意な場所と役割が違います。毛利家を人物相関だけでなく地域の分担として見る入口になります。
吉川家を継ぐことが、毛利の領域を広げた
元春は元就の実子でありながら、安芸北部の有力国衆・吉川家へ養子に入り、当主となりました。これは単なる名字の変更ではありません。吉川家の家臣・城・地域支配を毛利の連携に組み込み、山陰へ進む足場を得る政治的な継承でした。
本能寺の変後と、元春の最期
1582年、毛利方は羽柴秀吉の備中高松城攻めと向き合っていました。本能寺の変を受けて講和が成立し、秀吉は畿内へ引き返します。この時の毛利方の判断を元春の「追撃論」だけで説明する逸話もありますが、情報の到達時期、輝元・隆景・外交担当者の判断を含めて慎重に見る必要があります。
元春は家督を子の元長へ譲った後も毛利家の軍事に関わり、1586年、秀吉の九州攻めに従軍中に没しました。元就の時代だけの武将ではなく、毛利家が豊臣政権へ組み込まれる入口まで生きた人物です。吉川家はその後、元長の早世を経て吉川広家へ受け継がれ、関ヶ原で再び本家の存続を左右する立場になります。
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5問クイズ
Q1. 元春の父は?
A. 毛利元就です。
Q2. 元春が継いだ家は?
A. 吉川家です。
Q3. 両川の相手は?
A. 小早川隆景です。
Q4. 元春が強く関わった地域は?
A. 山陰方面です。
Q5. 元春が支えた甥は?
A. 毛利輝元です。