大高城は、今川軍の前線を支える城だった
大高城は鳴海城とともに、今川方が尾張で保持した重要な城でした。信長は周辺に砦を築き、城の連絡や補給を難しくしようとします。
大高城
今川方の城。1560年に兵糧が届けられ、尾張侵攻の前線を支えました。
鳴海城
大高と並ぶ今川方の拠点。信長は二つの城の連携を警戒します。
丸根・鷲津砦
大高城に近い信長方の砦。今川軍は桶狭間当日にここを攻めます。
大高の補給から、桶狭間へ
1559年ごろ
信長が周囲に砦を築く
鳴海・大高の今川方の城を牽制するため、信長は五つの砦を置きます。
1560年5月
今川軍が大高城へ兵糧を入れる
今川方は大高城への補給を進め、5月19日には丸根・鷲津の砦を攻めて前線を動かします。
5月19日
信長が今川勢へ攻めかかる
信長は善照寺砦・中島砦を経て進み、桶狭間で義元の本隊とぶつかって義元を討ち取ります。
大高城は、桶狭間の「背景」ではなく戦いの理由の一部です。 補給を通す今川方と、それを砦で抑える信長方の対立が、桶狭間当日の軍の動きを形づくりました。
ここだけ覚える
- 大高城は、桶狭間前夜に今川方が尾張で持った重要な前線の城。
- 兵糧補給と丸根・鷲津への攻撃が、1560年の軍の動きにつながる。
- 信長は大高城の近くに砦を置き、連絡と補給を抑えようとした。
参考にした資料
大高城への補給や各砦の細部には資料ごとの表現差があります。本ページでは、前線・補給・桶狭間へのつながりを中心に整理しました。