戦国の主要都市 / 駿河国

駿府

今川氏の領国経営と、家康の大御所政治をつなぐ東海の政治都市。駿府を「有名な城がある場所」としてではなく、地形、人の流れ、支配者の交代、町のつくり替えから読む。

まず押さえる

駿府は、何を動かした都市か

安倍川の扇状地と駿河湾の間に広がり、東海道が通る。富士川・大井川方面、甲斐・遠江・伊豆への道が伸び、東海支配の中央に置きやすい位置だった。

今川氏は駿府を拠点に、守護大名から戦国大名へ変化した。氏親の検地や今川仮名目録は、城を守るだけでなく、家臣・土地・裁判を束ねる領国運営の表れである。義元の時代には駿河・遠江・三河を結ぶ大勢力の中心となったが、桶狭間後に勢力図は崩れ、武田・徳川の争いを経て家康の都市へ変わった。

  • 現在地:静岡県静岡市
  • 戦国での役割:今川氏の領国経営と、家康の大御所政治をつなぐ東海の政治都市
  • 読みどころ:城・港・市場・寺社を、支配者だけでなく都市の働きとして見る。

支配者が替わると、都市の何が変わる?

駿府の重要さは、今川氏が強かったことだけではない。東海道を押さえ、甲斐・相模・遠江との境に近いからこそ、今川滅亡後も武田・徳川にとって手放せない拠点だった。家康はのちに駿府を大御所政治の場とし、戦国の領国都市を新しい政権運営へつないだ。

領国経営

検地や分国法を通じて、城下だけでなく駿河・遠江・三河を動かす統治の中心だった。

東海道

人と軍勢が往来する幹線上にあり、海路も含めて東海の交通を結んだ。

政権の交代

今川から武田・徳川へと支配者が替わり、都市の役割が再編された。

城だけを見ないための三つの視点

人が集まる理由

武将の居城だけでは町は続かない。港、川、街道、寺社、市場のどれが人と物を呼んだのかを確かめる。

支配の届き方

城下・寺内町・港町では、家臣、町衆、寺社、商人が違う役割を持つ。誰が何を管理したのかを見る。

転機の後

合戦や政変で領主が替わった後、道・川・市場・城下がどう組み替えられたかを追うと、都市の変化が見える。

戦国期の駿府 年表

1526年
今川仮名目録

氏親が家臣団・領国支配の規範を示す。

1550年代
義元期の最盛

駿河・遠江・三河を結ぶ今川領国の中心となる。

1560年
桶狭間の戦い

義元戦死後、領国の均衡が崩れる。

1580年代以後
徳川の駿府

家康が東海支配、さらに大御所政治の場として用いる。

「駿府」と「駿河国」は同じではない

駿府は人・物・権力が集まる都市、駿河国はより広い地域を表すである。都市だけでは周辺の国衆や生産地が見えず、国だけでは城下・港・市場の具体的な働きが見えにくい。この二つを行き来すると、戦国の地域が立体的に読める。

参考にした資料