人物ページ / 北条氏康の三男、武蔵西部を担い八王子城を築いた大名

北条氏照

北条氏照は、北条氏康の三男で、北条氏政の弟です。武蔵西部を担当し、まず滝山城を拠点に、のちに関東屈指の山城である八王子城を築きました。氏照の城は、戦うためだけの山城ではありません。御主殿、城下町、家臣団、道をつなぎ、関東の西側を動かす拠点でした。1590年、小田原征伐で八王子城が落ちた時、氏照自身は小田原城に籠城していました。開城後、兄の氏政とともに切腹します。氏照を追うと、北条氏が小田原だけでなく、関東の各地を一族に任せて支配していた姿が見えてきます。

? - 1590氏康の三男武蔵西部の拠点八王子城・小田原開城
八王子城跡
八王子城跡 / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

北条氏照を理解する要点

氏照は氏康の子で、北条氏の武蔵西部を任された一族です。滝山城から八王子城へ本拠を移し、地域を治める城下を整えます。1590年、八王子城が落ち、小田原開城後に氏政とともに切腹しました。

  • 立場:氏康の三男、氏政の弟
  • 注目点:滝山城から八王子城への移転
  • 次につながる:八王子城落城と小田原開城
最初に押さえる

氏照を最初にどう覚える?

氏康の三男

氏照は北条氏康の子で、氏政の弟です。小田原北条氏が一族を各地に配置して支配する中で重要な役を担います。

武蔵西部を治める

氏照は大石氏との関係を受け継ぎ、滝山城を拠点に由井領など武蔵西部の支配を進めました。

八王子城を新築する

1580年代、より防御に適した深沢山に八王子城を築き、滝山城から本拠を移します。

小田原で最後を迎える

1590年、八王子城が落ちた時に氏照は小田原にいました。開城後、氏政とともに切腹します。

まずは一本の流れで置く

  1. 北条氏康の三男として生まれる
  2. 武蔵西部で大石氏との関係を受け継ぎ、滝山城を拠点にする
  3. 1569年、武田信玄の滝山城攻めに向き合う
  4. 1580年代、深沢山に八王子城を築き始める
  5. 1584年から1587年ごろ、滝山城から八王子城へ本拠を移す
  6. 御主殿・城下・要害を持つ大きな城郭を整える
  7. 1590年、氏照は小田原城に籠城し、八王子城は前田・上杉軍に落とされる
  8. 小田原開城後、兄の氏政とともに切腹する

ざっくり年表

16世紀
北条氏康の三男として生まれます。生年には諸説があります。
中頃
大石氏との関係を受け継ぎ、滝山城を拠点に武蔵西部を治めます。
1569
武田信玄が滝山城を攻めます。詳しい戦闘の様子は軍記に依る部分が大きく、慎重に見る必要があります。
1582以後
深沢山に八王子城の築城を進めます。八王子権現を城の守護神とします。
1584 - 1587ごろ
滝山城から八王子城へ本拠を移したとする説が有力です。
1590年6月23日
八王子城が前田利家・上杉景勝らの軍に攻められ落城します。
1590年7月
小田原城の開城後、氏照は氏政とともに切腹します。

なぜ滝山城から八王子城へ移った?

滝山城は土塁・堀・馬出・曲輪を巧みに組み合わせた平山城で、氏照が武蔵西部を治める拠点でした。しかし戦国の終わりに近づくと、より大きな軍を受け止め、山の地形を深く使う城が必要になります。

氏照が新たに選んだ八王子城は、深沢山の険しい地形を利用する山城です。麓には城下町や居館を置き、山上は戦闘時の要害にします。これは「前の城がダメだったから逃げた」ではなく、戦い方と支配の規模が変わる中で、拠点を作り直す判断でした。

滝山城

丘陵を使った平山城。武蔵西部を治めるための拠点として、氏照が改修しました。

八王子城

深い山を使う山城。城下・御主殿・要害を持つ、より大きな構想の拠点です。

防御

滝山も強い城ですが、八王子は急峻な地形を活かし、より奥深い防御を作れます。

支配

本拠の移転は城の移動だけではありません。家臣、町、道、物資の流れを一緒に動かす仕事です。

氏照は戦だけの人ではない

八王子城の御主殿跡からは、中国から運ばれた皿や水注、金箔を使った土器皿、レースガラス器などが出土しています。これらは氏照の居館が、戦に備えるだけの場所ではなく、客を迎え、文化や交易とつながる場でもあったことを示します。

山城というと、険しい山頂で戦うだけの場所に見えがちです。しかし氏照の八王子城には、家臣の働く場所、城下の人々の暮らし、来客を迎える御主殿、最後の防衛線が重なっています。氏照は地域の軍事と政治の両方を担った大名でした。

八王子城落城が持つ意味

1590年6月23日、八王子城は前田利家・上杉景勝らの軍に攻められて落城します。氏照は城にいませんでした。小田原城に籠城し、北条家全体の危機に向き合っていました。

八王子城は氏照が大きく構想した城でしたが、完成から間もない時期の落城でした。小田原から遠い支城が落ちることは、北条氏が関東各地を守り続ける難しさを示します。八王子城の落城は、小田原の籠城を続ける北条側にとっても大きな打撃となり、開城を考える条件の一つになります。

ここだけ覚える

  • 北条氏照は氏康の三男、氏政の弟で、武蔵西部を担った一族。
  • 滝山城を拠点にした後、1580年代に八王子城を築いて本拠を移した。
  • 八王子城は戦だけでなく、城下・御主殿・家臣団を持つ地域支配の中心だった。
  • 1590年、氏照は小田原に籠城中で、八王子城は前田・上杉軍に落とされた。
  • 小田原開城後、氏照は兄の氏政とともに切腹した。

次に読むページ

5問クイズ

Q1. 北条氏照の父は?

A. 北条氏康です。

Q2. 氏照の兄は誰?

A. 北条氏政です。

Q3. 氏照が八王子城の前に本拠にした城は?

A. 滝山城です。

Q4. 八王子城が落城した年は?

A. 1590年です。

Q5. 氏照が最後にいた城は?

A. 小田原城です。

参考にした資料