場所ページ / 氏照が八王子城へ移る前、武蔵西部を治めた平山城

滝山城

滝山城は、武蔵西部の加住北丘陵に築かれた大きな平山城です。もとは大石氏の拠点で、のちに北条氏照がその関係を受け継ぎ、城を広げて由井領支配の中心にしました。土塁、空堀、馬出、曲輪が巧みに配置され、1569年には武田信玄の軍と向き合います。氏照はのちに八王子城へ本拠を移しますが、滝山城があったからこそ、その移転が「より大きな城へ引っ越し」ではなく、戦国末期に支配と防御を組み直す判断だったと分かります。

氏照の前の本拠平山城土塁・空堀・馬出1569年 武田軍と対峙
八王子市の戦国城郭を想像する山城跡の風景
八王子城跡の風景 / Wikimedia Commons / 氏照が滝山城の後に築いた八王子城跡 / CC BY

滝山城を見る要点

滝山城は氏照が八王子城へ移る前に使った武蔵西部の本拠です。丘陵に堀・土塁・馬出を重ねた強い城で、1569年には武田軍と向き合います。氏照の城づくりを比べるための大事な入口です。

  • 立場:氏照の前の本拠
  • 注目点:土塁と空堀を使う平山城
  • 次につながる:八王子城へ移る理由
最初に押さえる

滝山城を最初にどう覚える?

大石氏から氏照へ

滝山城は大石氏の居城だった後、氏照が関係を受け継いで拡張したとされます。

武蔵西部の政治拠点

氏照は滝山城を中心に、由井領などの地域を治めました。小田原から離れた北条の重要な支城です。

平山城の技術

丘陵の起伏を使い、空堀、土塁、馬出、曲輪を重ねます。山上だけに閉じない城です。

八王子城への前段

のちに氏照は八王子城へ移ります。二つの城を比べると、戦国末期の城の変化が見えます。

まずは一本の流れで置く

  1. 大石氏が加住北丘陵に滝山城を築く
  2. 北条氏照が大石氏との関係を受け継ぎ、城を拡張する
  3. 滝山城を由井領支配の拠点として使う
  4. 1569年、武田信玄の軍が武蔵へ進み、滝山城が攻撃を受ける
  5. 氏照は城を守り、滝山城は北条の武蔵西部拠点として残る
  6. 1580年代、氏照が深沢山に八王子城を築き始める
  7. 氏照が八王子城へ本拠を移す
  8. 滝山城は氏照の前の居城として、土の城の姿を残す

ざっくり年表

16世紀前半
大石氏が滝山城を拠点にしたとされます。
戦国中期
氏照が大石氏との関係を受け継ぎ、滝山城を支配と軍事の拠点にします。
1569
武田信玄の軍が滝山城を攻めたと伝わります。細かな戦闘の描写は軍記に依るため、慎重な見方が必要です。
1582ごろ以後
氏照が八王子城の築城を始めます。
1584 - 1587ごろ
氏照が滝山城から八王子城へ移ったとする説が有力です。
1590
小田原征伐で北条氏が滅亡します。氏照は小田原で切腹します。
現在
空堀・土塁・井戸などが残り、関東屈指の中世城郭として史跡になっています。

平山城って、どんな城?

平山城は、平地に近い丘陵や低い山を利用して築く城です。滝山城は、加住北丘陵の起伏と多摩川・秋川に近い地形を使い、上から見下ろすだけでなく、周囲の道や地域を押さえることができます。

滝山城の強さは、天守のような目立つ建物ではなく、曲輪を何段にも置き、空堀と土塁で攻め手を遠回りさせることにあります。馬出は城門の外側に置く小さな防御空間で、出入りを守るための仕掛けです。城を見るときは「一番高い場所」だけでなく、敵がどこから入り、どこで止まるかを見ると面白くなります。

空堀

水を入れない深い堀で、敵の移動を止めます。

土塁

土を盛った壁です。上に立つ守備側が有利になります。

馬出

城門の前に置く防御施設。門へ直接攻め込ませないための工夫です。

曲輪

城内を区切る平らな場所です。段階的に配置して、城の奥へ簡単に入れないようにします。

1569年の滝山城攻めは、どう見る?

1569年、武田信玄は小田原北条氏と対立し、武蔵方面へ軍を進めます。滝山城も攻撃を受けたと伝わり、氏照が防戦したことは、氏照を代表するエピソードの一つです。

ただし、氏照が城門で指揮し、武田勝頼と何度も攻防したという詳しい場面は『甲陽軍鑑』など軍記物に伝わる話です。実際にどこまで戦闘があったかは、史料の性格を考えて慎重に見る必要があります。ここで大事なのは、滝山城が武田と北条の緊張が高い地域にあり、氏照が武蔵西部の防衛を担っていた、という大きな事実です。

八王子城へ移った意味

氏照は、滝山城で得た支配の基盤を捨てたのではありません。滝山城の家臣団、城下、道を使いながら、より防御に適した八王子城へ重心を移していきます。

八王子城は、深沢山の地形を使う山上の要害、城主の御主殿、麓の根小屋を持つ大規模な城です。滝山城の土塁と空堀の技術を知ってから八王子城を見ると、氏照が「山へこもった」のではなく、地域支配の中心をより大きく、より奥深い形へ作り直したことが分かります。

ここだけ覚える

  • 滝山城は大石氏の後、北条氏照が拡張して武蔵西部を治めた平山城。
  • 空堀・土塁・馬出・曲輪を組み合わせた、関東屈指の中世城郭。
  • 1569年、武田信玄の軍が攻めたと伝わり、氏照が防戦した。
  • 戦の詳しい場面には軍記由来の話もあるため、史料の性格に注意する。
  • 氏照は1580年代に八王子城へ本拠を移し、より大きな城郭を構想した。

次に読むページ

5問クイズ

Q1. 滝山城を拡張した北条氏の人物は?

A. 北条氏照です。

Q2. 滝山城はどのような城?

A. 丘陵を利用した平山城です。

Q3. 城門の前を守る防御施設は?

A. 馬出です。

Q4. 1569年に滝山城を攻めたと伝わる人物は?

A. 武田信玄です。

Q5. 氏照が滝山城の後に本拠を移した城は?

A. 八王子城です。

参考にした資料